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柳家小三治を聞いて来ました

 当代随一の名手、小三治を聞いた。枕が少し長く、さらにその枕が私の世代ではなく、65歳以上を対象にした枕だったので、少し残念。チデジの話はまだ良かったが、フランク永井の話はチンプンカンプンであった。

 落語はつくづく呼吸だと感じる。同じ話を全く同じように話しても、呼吸が違うと全く別物になってしまう。どうやって名手と言われる呼吸を手に入れたのだろうか?天賦だけではできないと思う。天賦に努力する才能が無いと到達できない領域があるのだろう。

 さて、落語の内容は横に置いておいて、聞きに来た人達が驚きだった。60歳後半の人達がほとんど。高齢化社会の象徴みたいであった。どうしてこんなに高齢の人ばかり集まったのか不思議だが、お金と時間のある世代と言えば現役引退組なのだろうか?かなり驚きであった。

 団塊の世代(昭和22年=1947年~昭和24年=1949年生まれ)の本格的引退(彼等が65歳になる2012年~)が始まるとさらに高齢世代が増えて、こういったホール落語も彼等で占められるのかもしれない。落語が終わり出てきた高齢者で歩道は埋まり、反対から来た人達は何事が起こったのか訝しがったことだろう。それほど高齢の方々が多かった。まさに日本の縮図である。

 年寄は誰もが行く道である。但し、それも塊でいるのはやはり圧力を感じる。若者が塊で夜中にたむろするのもある種、圧力を感じるが、これは年寄も同じ。集団でいる事自身で圧力団体である。

 日本の選挙に行くのは年寄がほとんどで、若者は行かない。その様子は危機意識を持って観ているが、年寄の圧力と言うものが今後この国を動かす事となるのだろう。選挙で票になるのは高齢者寄りの政策であり、若者受けしても票にはならない⇒落選する。今後、テレビ番組の視聴率も高齢者寄りの内容になる時代が来るのかもしれない。今でも健康番組流行りがその象徴であり、言いキリ型司会者が受けるのも、その傾向が出ているのだろう。視聴率を取るノウハウはそこにあり、私の世代には詰まらない時代が来るのかな?

 幼稚園、保育所も小中学校も皆手薄になってくる。将来を担う者達に薄く、高齢者に厚い、そして世代格差が進む時代になりつつある。こんな状況ではヤッパリ世界で尊敬される、注目される国にはなれないのかもしれない。凋落は仕方の無い事なのだろうか?何とかならないかな?焦りを感じる。

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