映画・テレビ

AKIRA

 AKIRAを観た。金田が哲夫に飲み込まれそうになるシーンは、もののけ姫でたたり神に飲み込まれるシーンに似ていた。


 どちらが先かを調べると、AKIRAは1988年、バブル絶頂期。もののけ姫は1997年、失われた10年の真っただ中。AKIRAが先なんだ。

 それにそても、象徴的。AKIRAが眠っていたのは、東京オリンピックの建設途上の建物の、地下深く。そして、東京が崩壊していくシーンは、津波に飲み込まれる東京のようであった。

 2020年東京オリンピック。無事できればいいが、AKIRAの予言的な感じが、どうもヨロシクない感じ。原発の再稼働、素人にはその安全性は分からないが、AKIRAは一度東京を壊滅させている。そして、二度目の壊滅。

 そう、一度目の壊滅は太平洋戦争。二度目の壊滅は、予言的でしかないが、、、、、怖い感じ。

 AKIRAの映画を見て、こんなに示唆されるとは。そう、予言でないことを祈りたい。東京壊滅なんて、見たくもない。

 原発の再稼働、すでに3.11は4年経ち、過去のものとしたいのかもしれない。しかし、過去であっても、まだ済んでいないことが多すぎる。福島原発の後始末、放射能汚染、放射能流出。まだまだ終わっていない。終わらせる技術がないのが現在の人類である。

 手を付けてはいけない技術、暴発した場合に、コントロール不能になるエネルギー。まさに、AKIRAの世界。なんとも、示唆に富んだ映画だった、このAKIRAは。

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結構気分は観るもので左右されるんだ~

 映画「ハンニバル・ライジング」のDVDを観ました。あかんな~暗い映画は。暗くなる。今週号の「週刊金曜日」に本多勝一さんが「戦争と呼ばず、侵略とすべき」と言うコラムを書いていた。殺される側は「ライオンに食わせ」(ローマ時代)られようと、原爆の放射能で殺されようと、殺される側にとっては「殺される」と言う一点において「同じ」と断じている。

 まさに、その通り。これまで、銃で殺されることも、爆弾で殺されることを「殺す側」は同じと言っていはいない。しかし、殺される側に取っては、同じである。また、その家族にとっても、、、、同じである。そこで「ハンニバル」に繋がるのだが。

 侵略と言う行為からは、「生産的な」とか「文化的な」とか言う事象は生まれない。侵略からは「戦争」が導き出され、「侵略戦争」には「侵略する側=殺す側」とその反勢力としての「侵略される側=殺される」側が確かに存在する。

 何とも難しい。人類の歴史は戦争=侵略と侵略されることが、歴史と言えば歴史。

 まあ、能天気に自動車学校など通っている私が言う事では無いのかも知れないが、今でも侵略戦争は起きており、そして、理不尽な殺害は起こっている。殺害だけでなく、理不尽な心の傷、身体的傷は起こっている。

 とっても、今日は心がササクレテイル。こんな気持になるのも、映画=DVDのせいしら?困ったものである。人の心の闇は、、、、、、実に深い。そう、バイオハザードXと同じ様に、「悪魔」は誰の心の中にも居る。その悪魔=野獣の心をいかに飼いならすか?それが、、、、、、文化と呼ぶのかもしれない。

 今日は闇が深い。

 明日の午後から天気は下り坂。雨でもヨガに行く予定。カッパ着て、自転車で。

 さて、バイクはどうしたものでしょう?12時間は乗らないと検定受けれないのだけれど、3時間乗りました。あと9時間。来週は月曜と水曜の二回だけの予定。なかなか上手くならない(上達が遅い、頭と運動能力が摺り合わさっていない)。バランスも悪いし、ウインカー出すとか、ギヤーを二段にするとか、三段とか、、、、、体と頭がマッチしていないのである。これは、やはりアラフィフ(50歳ぐらい)のせいかもしれない。

 まあ、年齢は嘘を付かない。それなりに、老化しているのだから。

 明日は、DVD返して、バカ陽気なビデオを一本借りてこよう。気分変えないと。

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