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考え無いと言う選択肢

 考え無いと言う選択肢について考えて見る。人は常に色々なコトを考えているのだが、嫌な事、漠然と不安になるコト、苦痛を伴うことなどは基本的に逃げようとする。逃げて、逃げ切れればイイのだが、そうはいかない。それでも、目を瞑(つむ)るという言葉通り、フリーズする事が多いのかもしれない。

 明るい未来、快適なコト、快楽的なコトに関しては、楽観論として容易にくみしやすいのであるが、、、。今回の不況に関しても、先々のコトを色々思い馳せる人は少ないようである。正直言えば、私の周りでは少ないのかも知れないが、、、、確率論的にそれはないワケであるから、基本的には全体的に少ないと言うことか。為政者への期待は高いし、誰かが何とかしてくれるだろうとと言う楽観論は一時の清涼剤と同じく、気楽なものであるが。

 そして悲観論的なコトは言われても「分からない」、「理解できない」と言う事になる。モット頭のいい人達が考えているのだろうと、無責任な投げやりになる。これが民度と言うものかもしれない。学ぶのは学校までで、難しいコトは考えようとしないし、本などの活字も読まない。テレビや映画と携帯メールで過ごし、これまで何とかなってきたのだから、先々も何とかなるさ、この楽観論は少なくともウツ病にはならないか。

 しかしな~、給与が下がり、景気が悪くて、それでも楽観的にローンを組んで住宅を購入できるサラリーマンの人々はいないといけないが、楽観過ぎないか?と不安になる。また、若い人にマクロ経済、世界がどう言う方向に進みつつあるか言葉にしても、反応は薄い。そんな「固いコトを!」と言うわけで、マリナーズの城島が阪神に行く話には乗ってきても、円とドルの関係や赤字国債、仕分の話などは、「面白くもない」と言う話になる。

 結局、経済や政治記事はオ固くて嫌いで、スポーツ新聞的な享楽的、快楽的な事が多くの人の関心ごとであるのだろう。それも日本の民度か?教育の問題なのかな?それとも、そういった享楽的な生き方の方が人生幸せなのかな?

 考えると言うことは、なかなか大変である。私の中には「圧倒的知識量」を元に考えると言う事を自分に課しているが、あんまり面白い生き方ではないのかもしれない。それでも、そうせざる得ない自分がそこにはいるのだが、、、、。

 自分の周りの人達が自分と同じ様な志向性を持っていると考えるのは無理であるが、、、、、それでも何とか、知識を得て考える、そして判断するという事は間違いでは無いと思うのだが、なかなか難しい。そこに仮説を立てて検証するなどといった理系的な話を持ちこむと、途端に付いてこなくなる。どうしたものか?

 来年は年男。後進の指導に精を出したいと考えているが、、、、、。難しい。

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