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地獄の釜か?

 五木寛之の「人間の覚悟」新潮新書、週末に読んだ。現代と言う時代を評論している。大変参考になる言葉として「人は見えるものではなく、見たいものをみるのだ」という言葉。引き合いに出された、太平洋戦争を朝鮮半島の平壌(ピョイヤン)からの引き上げ話。これを読むと、歴史は繰り返さないまでも自分の現在立っている場所がどれだけ不安定であるか痛切に考えさせられる。戦後50年はアメリカを含めた「躁」の時代であった、その後10年は踊り場であり、これからは「鬱」の時代に入るという説。確かに、これだけ環境だとか化石燃料だとか壊しまくり、使い放題のこれまでの時代は「躁」であったと認識できる。これからは「鬱」の時代である事も感覚的には良く理解できる。これまでの生き方では済まない時代で、生き方を変えなければならない時代、まさにオバマ次期大統領が言う「Change」であるのかもしれない。

 で、あればどんな生き方があるのか?登山の下山という表現を著者は行っているが、これは年齢的な問題かもしれないが、ピンと来なかった。もう少し年齢が行かないと理解できないのかも。それよりピンと来たのは朝日新聞 土曜日の青のBeに書かれていた「公益資本主義」がこれからの生き方の指針になると思う。これまで「金融資本主義」は「強欲」なアングロサクソンシステムであったが、そのシステム破綻で、次なる概念が必要であると感じていた。「公益資本主義」と言う言葉は初めて知ったが、これからその考えを知りたいし、深めたい。

 どうもここ数年違和感が大きかった。民間会社の目的は「利益の追求」であり、会社は誰の物議論の中心にいるのは常に株主であり、その株主の興味は「リターン」であり、会社の社会貢献だとか技術の進歩だとか、社員の生活や人生というものをあえて無視したのが「金融資本主義」と言うシステム。これはどうしても納得できない、そして「そんなのあり?」という違和感が付いてきていた。

 確かに自分の欲求から考えても、「お金はあるに越したことはない」のであるが、お金が人生の成功、不成功を判断する基準になるのは、悲しくないか?お金を沢山儲ける人が成功者で、市井の貧しいが堅実な生活者は「成功者」から見れば「脱落者」なのか?それがアメリカグローバルの価値観と言うものだと、バブルからこちら言われていた。

 大株主が配当を「経常利益の3割(法律で認められる上限)」持って行く。これでは内部保留が出来ない。研究開発、不景気に備えることもままなら無い。その時点での株主優遇であり、先々の企業の発展阻害でしかない。こんなのがグローバルスタンダードと言うものらしい。これからは理論武装として、「公益資本主義」を使いたいし、利益より「あきない=商い=飽きない=継続」をバックボーンに入れていきたい。

 まあ、そんな事言っても「倒産」や「リストラ」はあってもおかしくないのがこれから。不本意な事象が起こる可能性は高いが、それを想定内にしておかないと、「人は見えるものではなく、見たいものをみるのだ」になってしまう。地獄の釜も直視して、それでも生きる覚悟をしなくては。

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